From: 的場つよし
つよしです。
素敵なひとは「型」があるな、そんな風に思うことがあります。
またこの辺はいずれ。
さて、本題。
女性の友人知人と本当に多くお付き合いさせていただいています。
そんな中で女性自身が女性に対して、いや自分自身にさえ嫌な部分を総称して「女(おんな)」という表現をされることが多いのに気づきます。
ですから、男性が気軽に使う、
「女(おんな)って奴は・・・」
など、表現が「かんに障るのではないのか」と勝手に思っています。
ですから、女性がイキイキと輝くようになりたければ、女性自身の
「女(おんな)」
の部分を癒していく、それが必要なのだと思っています。
それが癒されている女性は、女性からも人気があります。
具体的に、特徴を言えば、
- さっぱりしている
- 温かい
- 嫉妬をしない
- 裏表がない、後腐れがない
- 正直で誠実
- 軸がしっかりしている
などでしょうか。
女性は、その「女」の部分の特性で、社会の中で生きていくのには傷つきやすく繊細です。
だからこそ面倒なのですが・・・。
その一面として「察する」があります。
古代より集団で子育てをしてきた女性のDNAには「領域意識」が少ないのです。
ですから、自分が望むことは、相手も望んでいると思いがちです。
「私の気持ちをわかっているはずなのに・・・」
という意識が強く、そうでなければ、
「自分は、大切にされていない」
という意識に結びつくことが多いのです。
特徴的なもので、愛に対する男女差を一つあげると、
「男性は、どれだけ、自分の「努力」を認めてもらえたか」
が愛の判定基準の大きな一つです。
しかし、女性は、
「どれくらい自分の存在そのものを気にかけてもらえているか」
が愛の判定基準である傾向が強いのです。
「私のことが好きなら、言わなくても察してよね。
こんなに機嫌が悪そうな顔してるんだから・・・」
となってきます。
女性自身もその面倒さを自覚しているところも多く、そう思っているからこそ同じ女性が面倒だという意識が生まれるのです。
さぁ、あなたは、女性の「女」の部分をちゃんと見つめていますか?
そして、どうあつかってあげていますか?