会社や組織で何かトラブルが起きたとき、すぐに原因究明に走るのが一般的だと思います。
確かに原因究明は大切なことなのですが、ただ1点だけ、そのことによる弊害も生まれます。
ミス、トラブルの原因のほとんどが、人為的なミスであるので、原因追求は、「犯人探し」につながる点です。
「トラブルだ!」
「よし、原因究明だ!」
となれば、すなわち「犯人探し」ですから、心当たりのある当人は、いきなり萎縮しますし、周りのメンバーは、
「わたしでなくてよかった!」
と胸をなで下ろすでしょう。
これは、今後の仕事のやり方に、影響を与えてしまいます。
仕事に向き合う姿勢に恐れとためらいが生まれます。
機械などの故障については、原因究明は必須ですが、人が起こしたとなると、大きく「こころ」が介在します。
「こころ」は、いろいろと感じてしまいます。
ミスを起こした当人は、極端な人なら、あたかも自分を「犯罪者」のように感じるでしょうし、「罰を受けている」ようにも感じているでしょう。
今回ミスをしていない周りの人たちも、
「もしミスをしたらと思うと・・・」
となり、その職場は、「安心安全の職場」ではなくなります。
そんな職場で心底頑張れるかとなると疑問が残ってしまいます。
しかしながら、原因をそのままにしておくわけにはいきません。
では、どうするのか?
それは、原因究明はせず、問題解決のステップからスタートするのです。
「起こったことは起こったこととして、今回と同じ問題を起こさないためにはどうすればいいかを考えてください」
と全員でスタートさせるのです。
「なんで?」
「だれが?」
の原因究明のステップを飛ばしても、出る結果としては、大して変わりません。
問題解決に集中することで、職場が明るく活気づくようになります。
多くの場合、問題の発生源は推測がついているものです。
そして、その推測はほとんど当たっています。
それなら、その推測の検証は、ある意味、ただの自己満足です。
ですから、原因究明のプロセス(犯人探し)を省くことで、ミスを犯した人の反発を招くこともなく、より深い反省を引き出すことにつながります。
もちろんこれは、人間の性善説に立った考え方ですが。
さぁ、あなたは、犯人を探さないと気が済まないひとですか?
それとも、仕事効率と人間関係を優先したいひとですか?